2019年マルコの福音書第18講 だれでも人の先に立ちたいと思うなら

2019年マルコの福音書第18講
だれでも人の先に立ちたいと思うなら
御言葉;マルコの福音書9:30-50
要節;マルコの福音書9:35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」

1.イエス様はガリラヤを通って行った時、なぜ、人に知られたくないと思われましたか(30,31)。イエス様はご自分が殺されて、よみがえることを繰り返して教えたでしょうか。弟子たちの反応はどうですか(32)。

2.弟子たちが道で論じ合ったのは何ですか(33-34)。イエス様は、人の先に立ちたいと思うなら、どうするべきであると言われますか(35)。これは、弟子たちの考えと何が違いますか。イエス様の名のゆえに幼子のひとりを受け入れるとは、何をすることになりますか(36,37)。

3.ヨハネは、イエス様の名を唱えて悪霊を追い出した者を、なぜ、やめさせましたか(38)。イエス様の考えはヨハネとどのように違いますか(39,40)。イエス様はキリストの弟子だからというので、水一杯でも飲ませる人をどのように扱いますか(41)。

4.イエス様を信じる小さい者のひとりにでもつまずきを与えるのは、どれぐらい大きな問題になりますか(42)。手や足や目がつまずきとなるなら、どうするように言われますか(43-47)。ゲヘナはどんなに恐ろしいところであり、それを知っている弟子たちはどんな生き方をすべきですか(48-50)。

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