JBF聖書勉強 基礎 第9講 御言葉と心と生活

JBF聖書勉強 基礎 第9講     御言葉と心と生活
(私たちはどうやって御言葉の実を生活の中で結ぶことができるのか。)
御言葉:ルカ福音書8:4-15          要節: 8:15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」

1.イエス様は種を蒔く人のたとえを話されました。道ばたに落ちた種、岩の上に落ちた種、いばらの真ん中に落ちた種、良い地に落ちた種はそれぞれどうなりましたか。(4-8)種が実を結ぶためには、まず何が必要ですか。
8:4 さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。
8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。
8:6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。
8:7 また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。
8:8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」 / イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。

2.御言葉に対して、道ばたのような心で接する人はどうなりますか(12)。岩のような心で御言葉を接する人は試練のときにどうなりますか(13)。
8:9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。
8:10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。
8:11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。
8:12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。
8:13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。

3.いばらとはどういう心の状態のことでしょうか。いばらの心の中にある御言葉はどうなりますか(14)心のいばらにはどういうものがありますか。そして、自分の中にあるいばらはあるでしょうか。あるとしたら、なんでしょうか。
8:14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。

4.良い地とはどういう心を言いますか。その良い地を持っている人はどうなりますか。(8,15)
8:15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。8:8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」 / イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。

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