2020年コリント人への手紙第一、第11講
神の栄光を現わすために
御言葉/Ⅰコリント10:1-11:1
要 節/Ⅰコリント10:31
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」
1.そこで、パウロは兄弟たちに、何を「知ってもらいたい」と言っていますか(1-4)。神様の奇しきわざを数多く体験したのにもかかわらず、なぜイスラエルの先祖の大部分は、荒野で滅ぼされたのでしょうか(5,ユダ1:5)。キリストはどういう点で「その岩」となるのでしょうか(4,参考:詩18:2,95:2)。
2.パウロは、これらのことが起こったのは、何のためであると言いましたか(6)。彼らが滅ぼされた理由は何でしょうか(7-10)。また、それが書かれたのは、何のためですか(11)。
3.ですから、立っていると思う者は、何に注意する必要がありますか(12)。「試練」に対して、私たちはどのように思うべきでしょうか(13)。試練とともに脱出の道も備えてくださる神様について、話して見ましょう。
4.パウロは愛する兄弟たちに何を強く勧告していますか(14)。そして、彼らに何を求めていますか(15)。パウロは彼らに、何について語っていますか(16-18)。キリスト者が聖餐において杯を取って飲み、パンを裂いて食べることは、何を意味するのでしょうか。
5.パウロは彼らに何を言おうとしているのですか(19,20,申32:17)。たとえ偶像の神は存在しなくても、その宮で偶像にささげる物を食べることは、何が問題なのでしょうか(20b)。なぜ、私たちが主の杯と食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の杯と食卓にあずかることはできないことでしょうか(21,22)。
6.すべてのことは、してもよいのですが、なぜ、そのすべてのことが有益とはかぎらないのでしょうか(23,24)。また、市場で売っている肉と、信仰のない者に招待されご馳走になる時は、どうしたら良いのでしょうか(25-27)。しかし、食べてはいけない時もあります。それは何のためですか(28,29a)。
7. 私たちクリスチャンは、何のために生きるべきでしょうか(29b-31)。神の栄光を現わすことは、具体的にどうすることなのでしょうか(32,33)。「・・・私に見習ってください」と言うパウロを通して、私たちは何を学ぶことができますか(11:1,参考;ピリ3:17,18)。なぜ、私たちはキリストを見習うべきなのかについて、話して見ましょう(ピリ2:7)。
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